1970年、サンパウロ生まれ。
大学在学中に、Unidade Móvelというグループで活動を開始。後に、Unidade Bopと改名してから CD「Quebrando o Gelo do Clube」をリリース。
95年に、ジョルジ・ベン・ジョールのアルバム「23」でバックコーラスを務めた。2001年、待望のデビューCD「É Isso Aí」を発表。このCDには、ジェルソン・ キング・コンボ、イヴォ・メイレレスなどのアーティストが参加している。
“ディーヴァ・オヴ・サンバ・ソウル”と呼ぶに相応しいシンガーで、そのハスキーな歌声とソウルフルな音楽で、ブラジルの土の匂い漂う濃さと洗練さが世界から注目を浴びている。
ウィルソン・シモニーニャはブラジルのリオデジャネイロ生まれ。幼い頃にサンパウロに移住した。父親は1960年代から1970年代にブラジルのファンクやソウルアーティストとして活躍したウィルソン・シモナルで、弟はマックス・デ・カストロ。
バンド活動後、ソロとして活躍。2000年にはデビュー作「Volume 2」を発表。続けて、2002年には「Sambaland Club」、翌2003年には「Introduce Wilson Simoninha Live Session at Trama Studios」をリリースした。
Melhor
ブラジルでもまだ未発表の音源。CD発売に先がけて配信開始。
彼らしい、ファンクテイストな音作りが光る幅広いラインナップになっている。
表題曲が’96年のFMラジオで最多リクエスト曲ランキングの上位に入り、その年のラジオ局コレクションアルバムにも収録されるなど、国内では人気抜群のLua Do Brasil(ブラジルの月)。ブラジルの伝統的な情景や民間伝承のディテールをちりばめ、美しい韻を踏む詞はエドゥーが、構成力への自信をうかがわせるシンプルなアレンジにとどめた曲はジュカが手がけた。クラシカルなだけにいつまでも色あせぬその魅力を伝えに、10年以上の時を越えた「月」が今また現れる。
アルバム「ブラジリアノ」はネルソン・マシャードの17年に及ぶイタリア生活の集大成と言えるアルバムです。ジャケットでサン・パウロからボローニアへ旅をするイメージで表現されているように、"Estojo", "Estacoes" や"O Caos e o Amorモはネルソン自身の決して実現することのない希望的未来を映し出し、"Liquidacao", "Desce da Bananeira, Nenem" や"E Ai"では、海外の生活で感じるブラジルへのサウダージ(哀愁)に溢れた作品です。
このアルバムで全ての歌詞を担当しているレオ・ノゲイラは、毎日新聞シネマ・フェスティバルのコンテスト受賞作品ドキュメンタリー「私の季節」のテーマ曲「帰ろう、かな」の作詞を担当した作詞家です。
ブラジル・サンパウロ出身。クラシカル・ギターをヴィラ・ロボスのスクールで学ぶ。ギタリスト、トニーニョ・オルタのセミナーに協力するなどで活躍した後、モRa団es de Americaモのメンバー、アルゼンチン・ギタリストと共にフラメンコ・ギターの演奏で南米各地に出演する。その後イタリアへ渡り、ヨーロッパ各地で演奏活動を行い、Robert "Red" Rossi, Paolo Caruso, Maurizio Piancastelli,Andrea Taravelli, Enrico Guerzoni, アメリカ人ベーシストのVonn Washingtonなどと共演。ブラジル音楽の中心的存在となる。
幼い頃より、バイオリンやギターに親しんできた彼のキャリアは1984年にさかのぼる。バーやスタジオで演奏を重ねた後に、ゴザンギーニャなど多くのアーティストのツアーやライブに同行するようになる。1993年からソロアーティストとして活動を始め、95年からは"Música no Escuro"と題したライブを重ねていく。サンパウロやリオデジャネイロを中心に活躍し、様々な音楽祭やイベントに参加しトリを務めることも少なくない。
アウバロ・クエーヴァは芸術一家に生まれ、舞台芸術を専攻した。
演劇では、エステル・ゴエス、ゼノ・ウアイルデ、マルシオ・アウレリオらと舞台制作に加わった。また、Teatro Escola Macunaíma(チアトロ・エスコーラ・マクナイーマ)で教えた経験もある。常にブラジル音楽との接点を見出しながら俳優、監督として活動した。彼の楽曲は、演劇の影響が見受けられる点が特徴的だが、それは舞台音楽監督を何度も努めた経験による。
甘美さと迫力を同時に兼ね備えた独特な声の持ち主で、12歳のとき既に、バンド、“Titulares do Rítmo(チトゥラーレス・ド・ヒッチモ)”の収録に参加した。
参加した音楽祭の経歴も豊富で、カへフール、タトゥイー、サンパウロ大学(USP)Primeiro Projeto Nascente(第1回ナセンチ・プロジェクト)などがある。1990年にはバンド、“Rés(ヘス)”とCDをリリース。彼の曲が多数収録された。また、“クラブ・カイウビ(作曲家達の集まり)”のメンバーでもある。このクラブは、ゼ・ホドリックスがコーディネートする文化ムーヴメントで、現代ブラジル音楽界の著名な作詞家を多く輩出している。
1980年代より多くの学生のよる音楽祭に出演し、注目を浴びる。
Renato Brazや Filó Machado、 Maria Marthaといったアーティスト達とも共演を果たす。1998年には、全てがエーリオ自身の作曲によるCD“Mágicas”を発売し、ブラジル各地でライブを開催する。
2002年に発売したアルバム、“Antes e depois do fim do mundo"が高い評価を受けて、イタリアやポルトガル、スペインでも公演を行った。
彼の4番目の作品である、”Bicho Preto” はブラジル現代音楽を代表する才能を持った彼の円熟味が感じられる作品である。他の誰にも真似できないような、演奏や歌には彼の豊かな創造性がつまっている。
2000年に初のソロアルバム「São Bonitas as Canções」のリリースして以来、多忙の日々を送っている。Pop Acústicoシリーズ作品でもある3枚のCDをレコーディングした他にも、アレシャンドレ・レモス(Alexandre Lemos)と組んでアルバム「Lucidez」を発表、さらには自らが参加するグループO Quinto でもCDをリリース、日本でもボサノバへのオマージュCD/DVD作品、「ボサノバの娘たち」に参加するなど精力的な活動を続けている。また、これらの作品に参加する合間を縫って、ウィリアンス・ペレイラ(Willians Pereira)の新作、「A Canção, a Voz e o Violão」の製作にも携わっている。
「A Canção, a Voz e o Violão」は、そのタイトル通り、声とギターの音色を思う存分に聞かせる作品となっている。以前からピアノを担当していたシェイラ・ザグリー(Sheila Zagury) に加え、今回の作品ではウィリアンスがギターとして参加している。シコ・ブアルケ(Chico Buarque)、エドゥ・ロボ(Edu Lobo) 、ミルトン・ナシメント(Milton Nascimento)、カルトーラ(Cartola)、ギンガ(Guinga)、スエリー・コスタ(Sueli Costa) などのブラジルの音楽界を代表するアーティストの珠玉の作品もラインアップに加えている。マリアーナとウィリアンスの演奏は、自然の美しさをはっきりと描き、開放感に満ちている。このアルバムの第1曲目に選ばれた 「Canções e Momentos 」はその歌詞や歌声、ギターの音色が一体化している作品と言ってよいだろう。
FOLIA DE 3は3人の女性ボーカル長年約束がついに実現したボーカルグループ。カカラ・カルバーリョ、エリアーネ・タシス、そしてマリアンナ・レポラッセといった、キャリア十分の実力派たちは、クインテット「MAITE-TCHU」のボーカルメンバーとして知り合う。グループの1998年の解散に伴い、それぞれがソロで活動しながらも彼女達は、長年様々な音楽の分野で活躍しながら、友情を育み、ビジョンを練り上げ、お互いに親交と理解を深めていった。
3年前に、彼女たちのコレクションを編集しようという話が持ち上がったときから、トリオ結成に向けて動き出した。彼女達は、最初の作品を一人の作曲家に捧げようと決める。その作曲家こそが、イヴァン・リンスであった。ボーカルトリオの新しい魅力を世界に伝えられるのは、素晴らしい作品を持つイヴァン・リンス以外に選択の余地はなかったともいえる。FOLIA DE 3が発表した初のアルバムは60歳を迎えるイヴァン・リンスに敬意を表し、「PESSOA RARA- Ivan Lins 60 anos (稀有の人-イヴァン・リンス60歳)と名づけられた。
3人はこのアルバムにリア・ルフチが作詞を手がけ、イヴァン・リンスが作曲を手がけた、未発表の曲「Canção, Quase Duas」を収録する。イヴァン・リンス自らも、このアルバムに参加し「Choro das Águas」では3人と共に、ボーカルに加わっている。ボーカルアレンジは現在のリオデジャネイロのボーカル界を代表するアーティスト達がてがけており、カカラ、エリアーネ、マリアンナの3人の歌声、ベースアレンジのまとまり、そして選曲に垣間見えるブラジルらしさが1つになり、イヴァン・リンスの豊かな音楽を伝えている。イヴァン・リンスの息子であるクラウディオ・リンスが彼女達の楽曲コレクションに協力しただけでなく、コンサートの演出も手がけている。
FOLIA DE 3という名前は、キリスト誕生に際して貢物をしたとされる東方の三賢人を例えているかのようで、彼女達はその美しい声を一人の偉大な作曲家に捧げ、それを偉大な祭りのように進化させ、まさにFOLIA DE 3(3人の歓楽)と呼ぶにふさわしい。実のところ、このトリオは偉大な3人のソリスタたちが互いにボーカルとコーラスとを交代しながら、美しいメロディーとハーモニーを散歩しているかのような満足感に浸らせてくれるグループなのだ。